1. あまはらし(雨晴)・義経岩・渋谷川・太田・二上山・万葉の里



平成19年元旦に新しい写真を載せました。
平成14年9月18日に新しいベージを追加しました。







          右の写真は2007年元旦の初日の出です。

         朝7時32分に妻が雨晴海岸で撮影したものです。

         女岩付近に立ち昇る蒸気霧(けあらし)を、

         立山連峰から昇る初日の出が照らしています。

         けあらしは大変珍しいものです。










     左の写真は2002年11月7日6時38分に同じ所にて撮影したものです。

     妻が初めてデジカメで撮りました。

     この写真も女岩付近に立ち昇る蒸気霧を、

     立山連峰から昇る日の出が照らしています。






雨晴海岸にはJR氷見線(ひみせん)が海岸と並行して走っています。雨晴(あまはらし)の由来は、源義経が兄の頼朝から逃れて奥州へ行く途中、この地で雨に会い、岩屋で雨が晴れるまで待ったことから来ていると言われています。この岩屋が義経岩です。
 又、弁慶が義経を逃す道筋をつけるため、祈願して刀を海に投げたら雨が止んだことが由来との説もあります。
 子供の頃はよく義経岩で遊びました。釣りをしたり、岩屋の迷路で隠れんぼをしたり。1又、弁慶が岩を持ち上げてこの岩屋を作ったとか、岩屋の上の窪みを見つけて、これが弁慶の足跡だとか、純真に思い込んでいました。(懐かしいなー!)
 現在この辺りは国定公園に指定されており、海岸から3000メートル級の山が見れる世界的観光名所として、写真マニアの間では常識だそうです。
 海岸では季節を問わずカメラマンの姿をよく見かけます。特に元旦の朝は、雪の立山連峰から昇る初日の出を撮ろうと、数十台の三脚が並びます。

 雨晴海岸は義経の故事以前は「有磯の海」と呼ばれていたようです。 万葉の昔、越中の国司として高岡市伏木に赴任した大伴家持は、この付近も歌に詠んでいます。氷見線の直ぐそばに歌碑が立っています。 歌にある「渋谷川」は義経岩と女岩(めいわ)の間で「有磯の海」に注いでいます。
 5~6年ほど前だったでしょうか? 雨晴海岸の沖合いにイルカの群れが来た事がありました。時ならぬ「イルカウォッチング」に遠方から多くの見物客が押しかけ、道路は大渋滞となり、そんな日が幾日も続きました。
 又、雨晴海岸に連なる松太枝浜(まつだえはま)には、数年前から、漁船やレジャーボートが繋留できる港の建設が始まっており、沖へ向かって伸びている防波堤は多くの釣り客でにぎわっています。
 海岸近くの丘陵地には、万葉以前の史跡「桜谷古墳」があり、この近辺では以前から刀剣類、まが玉などが多く発見されています。地名も「殿山(とのやま)、御庭(おにわ)、天池(あまいけ)、金寺(きんでら)、土仏坂(どぼっつぁか)」などのように、意味ありげな地名が多くあります。詳しい事は書物が残っておらず、分からないようです。
 私が高校生の頃に伯父さんから聞いた話では、昔は土仏坂近辺の畑から、ニワトリを形取った土器がよく出たそうです。しかし悲しいかな、その頃は文化財としての価値認識が無く、ほとんど鍬で壊していたようです。(もったいない!!) 
 その他、国泰寺、与茂九郎池、武田家、雨晴温泉、殿山ぶどう園など、近くには観光名所が多くあります。
 人気映画「釣りバカ日誌」の次回作は、海から立山が見える所、だそうですから、大いに雨晴が有望ですよ。

 一度あまはらしへ来られませ !!



追申: 釣りバカ日誌13の県内ロケは5月中旬に終りました。残念ながら雨晴でのロケはありませんでした。
 富山県の良さが全国に知れて「釣りバカ日誌」が再び来る時は、「雨晴」にぜひ来て欲しいですね。(記.平成14年5月24日)


 以上の文は私の記憶に基づいて書いています。間違いや正確でない点が有りましたら、お知らせ頂ければ幸いです。
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  !!新しく雨晴トンネルが開通しました。!!


 2002年6月29日(土)、国道415号線バイパスの国分~雨晴間に新しく雨晴トンネルが開通しました。当日はにぎやかな催し物や式典が盛大に行なわれました。
 JR氷見線トンネルと並行している旧トンネルは、幅が狭い為、大型車の対面通行が困難でした。新トンネルの開通により、大型バス等も安心して通る事ができるようになり、観光地として雨晴もにぎやかになるでしょう。
 実はこの新トンネルの雨晴側の出口付近は「紅葉姫(もみじひめ)伝説」が残る紅葉谷と呼ばれる所です。伝説にある紅葉橋はトンネルの出口の辺たりにあったのでは?と私は思っています。
 私がまだ小学校前の小さな頃、母と祖母のリヤカーに乗って伏木まで行った気憶があります。今の道路でなく、昔の曲りくねった山道の途中、低くなった草原の向うに海が見えた所がありました。今のトンネルの出口付近だろうと思います。この出口から雨晴側は、私が中学生の頃にモトクロス大会が行なわれ、小高い丘になっていました。その気憶が正しければ、やはりトンネルの出口付近が昔の紅葉橋のあった所だろうと思います。
 今、紅葉谷の面影を残す谷らしき風景は見当たりません。産業廃棄物等で浅い谷は埋めつくされて丘稜地になっています。
 その名のように昔、もみじが生い茂り、伝説を秘めた美しい谷を忘れない為にも、この新しいトンネルは「紅葉谷トンネル」という名称が良かったのではと思います。せめて私だけでも心の中で「紅葉谷トンネル」と呼ぶ事にします。
          (記 2002年7月30日)

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 平成14年9月14~16日の三日間、JR氷見線に33年ぶりにSL(蒸気機関車)が戻って来ました。

SLが戻って来た!!

 

 2002年9月18日に開いたページです。
SLの音を聞いたり、動画を見る事ができます。

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!もみじ姫公園が完成しました。!



 2002年11月30日、国道415号バイパスと旧道の間(新雨晴トンネルの出口付近)に「もみじ姫公園」が完成しました。前にも述べたように、なんとか紅葉谷の伝説を忘れないように、と願っていた私には大変うれしい事です。


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3.俳句を始めました。
4a.クラシックギター
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5.鍼灸マッサージ・私の治療室
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10.ゼンマイを利用した全面払拭ワイパー装置を考案
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